2009年12月19日100年たっても実現できない未来技術ベスト10
1 名前: ちくわ(静岡県):2009/12/18(金) 23:21:04.08 ID:ApHGK/Qg ?PLT
21世紀になってもう随分たちましたけど、まだ実感が沸きません。
だって確か21世紀になったらロボットメイドが家事を全部やってくれて、移動は空飛ぶ自動車で自動運転、電話はビデオ電話で食事はカプセルになっているはずだった気がするんですよね。
ということで今回、「できるできる」といわれ続けてまだできてないテクノロジーを一挙ご紹介。まじめなものからしょうもないものまで、色々ですよ。
1.ドーム都市
2.食事革命
3.フライング・カー
4.外国語ができるようになる錠剤
5.核攻撃後も生き延びる方法
6.人工の海
7.海底都市
8.自動運転の自動車
9.ビデオ電話
10.健康的なタバコ
(全文はソースにて)
http://news.livedoor.com/article/detail/4511019/
2010年2月1日月曜日
2010年1月31日日曜日
ダビンチの模写 サザビーズは最新の科学分析などから模写と判断
ダビンチの模写に1億3000万円
競売大手サザビーズは28日、イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダビンチの真作かどうかで長年論争が繰り広げられ、最終的に精巧な模写と鑑定された女性の肖像画が、ニューヨークのオークションで153万8500ドル(約1億3800万円)で落札されたことを明らかにした。
模写にもかかわらず、予想落札価格の30万~50万ドルを大きく上回り、美術品市場でのダビンチ人気を裏付ける結果となった。
絵はパリのルーブル美術館所蔵のダビンチ作「婦人の肖像」と同じ図柄で、ダビンチが2枚描いたうちの1枚とする鑑定もあった。しかしサザビーズは最新の科学分析などから模写と判断した。
肖像画は1920年、米軍人と結婚したフランス人女性が祖母から寄贈されたもので、米国の著名な鑑定家が「贋作」と主張したため法廷に持ち込まれたが、決着がつかなかった。(共同)
【関連ニュース】
* ロンブー淳 600億円絵画にビックリ…「お台場合衆国」PR 写真付き
powered by Fresheye
(2010年1月29日10時00分 スポーツ報知)
競売大手サザビーズは28日、イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダビンチの真作かどうかで長年論争が繰り広げられ、最終的に精巧な模写と鑑定された女性の肖像画が、ニューヨークのオークションで153万8500ドル(約1億3800万円)で落札されたことを明らかにした。
模写にもかかわらず、予想落札価格の30万~50万ドルを大きく上回り、美術品市場でのダビンチ人気を裏付ける結果となった。
絵はパリのルーブル美術館所蔵のダビンチ作「婦人の肖像」と同じ図柄で、ダビンチが2枚描いたうちの1枚とする鑑定もあった。しかしサザビーズは最新の科学分析などから模写と判断した。
肖像画は1920年、米軍人と結婚したフランス人女性が祖母から寄贈されたもので、米国の著名な鑑定家が「贋作」と主張したため法廷に持ち込まれたが、決着がつかなかった。(共同)
【関連ニュース】
* ロンブー淳 600億円絵画にビックリ…「お台場合衆国」PR 写真付き
powered by Fresheye
(2010年1月29日10時00分 スポーツ報知)
アメリカはハイチの麻薬利権が?
ハートを撃て!
ホーム 日記 プロフィール オークション 掲示板 ブックマーク お買い物一覧
ハイチの思い出 ハイチ内乱が勃発した時に私はマイアミから最後の便に飛び乗り、ハイチへ上陸。日本の公館関係者はドミニカやアメリカへ避難。フランスのNGOやバックパッカー仲間とハイチのこどもたちの食糧確保に廻った。この時、アリスティド大統領支持を叫ぶハイチ国民の首都のデモはすごかった。ホテルの屋根から見下ろすと砂埃が舞い、人々の頭で道路がぎっしりと埋まっていた。
匿名某掲示板で、私のハイチレポートをあざ笑う兄ちゃんたちはアリスティド大統領が親米で、アメに保護されていると勉強不足な書き込みをしていた。妄想は君たちだ、南の小さな島の位置も知らず、困窮も知らず、アメリカや欧州から搾取されてきたハイチの歴史も知らないくせに「アリスティド大統領は独裁者、国民に支持されていない」と発言、私の考えは「プロ市民の妄想」と。
あのな、私は自分の目で確かめていたんだよ、あの現場にいたんや。日本の記者はマイアミで外国の記事を参考にした記事を本社へ発信していた。現地を確かめもせずに。君たちはそれらの記事から判断したの?
大統領はアメリカ軍に連れ去られたんだよ、保護じゃないのよ。無理やり中央アフリカ共和国へ亡命させられたんだよ。監禁同様に、しかも帰国を阻止されていたんだよ!逃げたんじゃないよ!
内乱の最中、国民は大切な大統領を奪われて、上陸したアメの海兵隊に銃で脅されて、反大統領派に殺されていた。
ハイチの今を見ろ、ワタシが予想した通りじゃないか!
~友人の皆さん~2004年3月7日(日)
「ハイチ緊急行動要請:アリスティド監禁状態に、アメリカ派遣団語る」
ハイチのジャン-ベルトラン・アリスティド大統領の現状に関する最新情報についての以下の報道発表を、広範に流すことに是非協力して頂きたい。アリスティド大統領は、アメリカ当局の指示により事実上監禁状態にある。我われは皆さんがこの報道発表を全国、地方を問わず任意の報道機関に簡単に送れるシステムを用意した。このシステムはまた、よければ、報道機関のどの支局等にも標準的な
簡潔なメッセージを送ることもできる。全国の皆さんと共に行動すれば、この事件を追及するよう報道機関を励まし、また、要求することができる。
民主的に選出されたハイチ大統領の帰還を支持し、アメリカによるクーデタと占領に反対して、ハイチの何千もの民衆がポルトープランスでデモを行なうことに、ここ数日身命を賭している。このようなハイチ民衆との連帯を示すために、この報道発表を広めることに、少しの時間を取って頂きたい。
【ハイチの思い出 パート2】
2004年03月13日の記録から
・・・と言うわけでポルトープランスに到着。AAがマイアミ~ポルトープランス間の運行再開。
日本の記者さんやNGOのスタッフも少数ながら市内に留まっています。
アメリカ軍や国連要請の軍隊が空港をがっちり固めて、民間機が往来している。やはり、反政府のゲリラ軍は米国のやらせだったと実感。ほんものだったら国際空港がこんなに早く再開しない。しかも米軍が安全宣言。AAも「大丈夫です」宣言。フランス人記者が言うには「アメリカのやらせにきまってるやん」と含み笑い。
現在はここを訪れた世界の旅行者たちの善意で建設した孤児院に滞在。市内は米軍の海兵隊がうようよ。銃を撃つ構えで腰を落として市内を巡回、あるいは戦車で。市民は遠巻きに観察している。アメリカの情報操作は世界一、米国の有名なメデイアのサイトを見ると、もう米国よりの報道が多い。しかし現場の空気は全然違うやんか。どちらの立場で物事を見るか・・報道って恐いな。
ローカルタイムは10日、正午、もう熱くて!30度は超えてるよ。
【ハイチの思い出 パート3】
明日は帰国。
車椅子のシスターを日本からハイチへお届けすること、医薬品運搬が私の仕事。ついでに孤児センターやストリートチルドレンの子供たちと遊んだり、給食のお手伝い。
マイアミ空港で政府の仕事をしているらしいドミニカ人と出会った。彼はハイチで開催されるCARICOMとアメリカ等との協議にオブザーバーとして出席するためハイチ入り。ハイチ入国の便宜、空港の送迎など「まかせとき」といろいろお世話になった。どれくらいの地位かは不明だが空港ではVIPゲートを通過、トヨタ車で送迎してもらうなど便宜を計ってくれたので「偉いさん」やなと。
ドミニカ共和国も貧乏でストリートチルドレンの問題が深刻とか。機会があれば招待するので何か手伝って欲しいと言われた。社交辞令だろうが私はちょっと本気で考えている。
■ハイチは米国企業にとって一番安いスウェットショップ(搾取工場)になっています。時給11セント(13円)ということは、中国よりも安いです。
The US in Haiti: Why?
http://dominionpaper.ca/weblog/2004/02/the_us_in_haiti_why.html
▼上記の記事紹介先(引用)
「1994-2002年にかけて米国は7000万ドル(約80億円)をアリスティード大統領の反対勢力を作るために費やしているとのことです。その逆に、2000年以降、ブッシュ政権は総額5億ドル(550億円)のハイチへの経済援助を中止し、IMFにも働きかけて1.5億ドル(170億円)の支援を取り止めました。」
http://blog.digi-squad.com/archives/cat_societypolitics.php
◎ ハイチに関するラムゼー・クラークの声明
http://www1.jca.apc.org/aml/200403/38115.html
■偶然?
2/29に書き込んだ「ハイチどうなるの?」と同じ考えの方がいた。文章内容も私の(カナダ人の友人)が下記では「ハイチから勉強に来ている女の人」と違っているが、何でこうもそっくりなのか?
まあ。同じ意見でうれしいのだが、一字一句が私の書いた記事とそっくり。下記は私の文章コピーだと確信した。『』の中以外はすべて私の文章だ。
▼こちらは04.3.2.Tueに書かれている
偶然な同じ記事
「長きに渡るフランスの支配と搾取に必死で抵抗したハイチは200年前に独立した黒人初の共和国である。そこで最近、日本で報道されているハイチの危機の真実について触れてみる。
『実は同じ学校にハイチから勉強に来ている女の人』がいて、今回の事にひどく心を痛めている。彼女はアメリカに対して不快感を持っていると同時にアメリカの恐ろしさを口にしている。
そこから感じるものは、AP通信やロイター等の配信記事を何ら検証もせずに、国内へ垂れ流ししている日本の報道記事。まるで戦争前のイラクやアフガニスタンの時と全く同じ状況。米国の尻馬にのって米国の情報操作を根拠なく真に受け、アメリカに背く国はみな「独裁」国と呼び、あとあと、派遣記者が現地で違いに気づき、少しづつ誤魔化すように修正記事を書き始める。なんて無責任なんだろう。日本の政府やジャーナリズムは…。ハイチの民主化を妨害しているのは現在の大統領に反対している勢力とそれを陰から支援しているアメリカ・ブッシュ政権なのに…。
ところがWEBで見る限りでは、日本の新聞各紙は「最近、アリスティド大統領が独裁者になり・・選挙の不正云々」と報道している。それを流す報道機関の人たちに問いたい。あなた方はそれを見たんでしょうか?ひどい新聞社の記事はアメリカがハイチの民主化を進め、アリスティド大統領のバックアップと書かれている。これも全くの正反対。まるっきり逆。」
【ハイチの思い出(内乱総括)】
ハイチに関する日本での報道は一部正しく、大筋で間違いだと感じた。なぜなら、ハイチの首都、ポルトープランスに滞在していた?日本の記者の取材態勢に「?」だったから。
多くの日本の記事は米国メデイアの記事を要約した内容を掲載、ところがそれすらも細部を省略。米英誌のメジャー紙の記事の質・量と日本の要約された記事のそれとはハイチの現状と米仏との関係を理解する上で雲泥の差があった。某記者はマイアミにいながら、インターネットで海外記事を漁り、それをあたかも現地にいるような感覚で日本へ記事を送信。あるいはポルトープランスの高級ホテルで反乱軍(米軍支援のクーデター軍)の幹部や米軍側の記者会見の取材だけして、ハイチの大多数の貧乏なピープルには取材しなかった。(近寄りもしなかった)
だから、反乱軍(武装勢力)や米軍などが首都入りした時「人々
は歓迎」の記事を書いた。歓迎したのはハイチの裕福な階層やハイチ大統領の政策では利権を得られない人たち、あるいはそういう人たちに雇われている弱い立場の人や1$程度を貰って「仕事」として、デモや歓迎をさせられた人たちであった。
反乱軍の幹部たちやその親戚はハイチの麻薬利権の中心になる連中だ。なのに現状を正しく知らされない日本の人たちはアメリカ経由報道でハイチの大統領=麻薬利権と認識している。大統領周辺の高官のなかには確かにそういう輩もいるがアリスティド氏はキムジョンイルみたいに「麻薬」産業を奨励していたわけではない。
ユダヤのことわざ「99人のアホと一人の賢者が国を動かしているとしたら一人の賢者は役立たない」のように、アリスティド氏の立場を以上、簡単に説明しておく。(へんな例えだやけど)
Powered By
--------------------------------------------------------------------------------
Copyright (c) 1997-2010 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.
ホーム 日記 プロフィール オークション 掲示板 ブックマーク お買い物一覧
ハイチの思い出 ハイチ内乱が勃発した時に私はマイアミから最後の便に飛び乗り、ハイチへ上陸。日本の公館関係者はドミニカやアメリカへ避難。フランスのNGOやバックパッカー仲間とハイチのこどもたちの食糧確保に廻った。この時、アリスティド大統領支持を叫ぶハイチ国民の首都のデモはすごかった。ホテルの屋根から見下ろすと砂埃が舞い、人々の頭で道路がぎっしりと埋まっていた。
匿名某掲示板で、私のハイチレポートをあざ笑う兄ちゃんたちはアリスティド大統領が親米で、アメに保護されていると勉強不足な書き込みをしていた。妄想は君たちだ、南の小さな島の位置も知らず、困窮も知らず、アメリカや欧州から搾取されてきたハイチの歴史も知らないくせに「アリスティド大統領は独裁者、国民に支持されていない」と発言、私の考えは「プロ市民の妄想」と。
あのな、私は自分の目で確かめていたんだよ、あの現場にいたんや。日本の記者はマイアミで外国の記事を参考にした記事を本社へ発信していた。現地を確かめもせずに。君たちはそれらの記事から判断したの?
大統領はアメリカ軍に連れ去られたんだよ、保護じゃないのよ。無理やり中央アフリカ共和国へ亡命させられたんだよ。監禁同様に、しかも帰国を阻止されていたんだよ!逃げたんじゃないよ!
内乱の最中、国民は大切な大統領を奪われて、上陸したアメの海兵隊に銃で脅されて、反大統領派に殺されていた。
ハイチの今を見ろ、ワタシが予想した通りじゃないか!
~友人の皆さん~2004年3月7日(日)
「ハイチ緊急行動要請:アリスティド監禁状態に、アメリカ派遣団語る」
ハイチのジャン-ベルトラン・アリスティド大統領の現状に関する最新情報についての以下の報道発表を、広範に流すことに是非協力して頂きたい。アリスティド大統領は、アメリカ当局の指示により事実上監禁状態にある。我われは皆さんがこの報道発表を全国、地方を問わず任意の報道機関に簡単に送れるシステムを用意した。このシステムはまた、よければ、報道機関のどの支局等にも標準的な
簡潔なメッセージを送ることもできる。全国の皆さんと共に行動すれば、この事件を追及するよう報道機関を励まし、また、要求することができる。
民主的に選出されたハイチ大統領の帰還を支持し、アメリカによるクーデタと占領に反対して、ハイチの何千もの民衆がポルトープランスでデモを行なうことに、ここ数日身命を賭している。このようなハイチ民衆との連帯を示すために、この報道発表を広めることに、少しの時間を取って頂きたい。
【ハイチの思い出 パート2】
2004年03月13日の記録から
・・・と言うわけでポルトープランスに到着。AAがマイアミ~ポルトープランス間の運行再開。
日本の記者さんやNGOのスタッフも少数ながら市内に留まっています。
アメリカ軍や国連要請の軍隊が空港をがっちり固めて、民間機が往来している。やはり、反政府のゲリラ軍は米国のやらせだったと実感。ほんものだったら国際空港がこんなに早く再開しない。しかも米軍が安全宣言。AAも「大丈夫です」宣言。フランス人記者が言うには「アメリカのやらせにきまってるやん」と含み笑い。
現在はここを訪れた世界の旅行者たちの善意で建設した孤児院に滞在。市内は米軍の海兵隊がうようよ。銃を撃つ構えで腰を落として市内を巡回、あるいは戦車で。市民は遠巻きに観察している。アメリカの情報操作は世界一、米国の有名なメデイアのサイトを見ると、もう米国よりの報道が多い。しかし現場の空気は全然違うやんか。どちらの立場で物事を見るか・・報道って恐いな。
ローカルタイムは10日、正午、もう熱くて!30度は超えてるよ。
【ハイチの思い出 パート3】
明日は帰国。
車椅子のシスターを日本からハイチへお届けすること、医薬品運搬が私の仕事。ついでに孤児センターやストリートチルドレンの子供たちと遊んだり、給食のお手伝い。
マイアミ空港で政府の仕事をしているらしいドミニカ人と出会った。彼はハイチで開催されるCARICOMとアメリカ等との協議にオブザーバーとして出席するためハイチ入り。ハイチ入国の便宜、空港の送迎など「まかせとき」といろいろお世話になった。どれくらいの地位かは不明だが空港ではVIPゲートを通過、トヨタ車で送迎してもらうなど便宜を計ってくれたので「偉いさん」やなと。
ドミニカ共和国も貧乏でストリートチルドレンの問題が深刻とか。機会があれば招待するので何か手伝って欲しいと言われた。社交辞令だろうが私はちょっと本気で考えている。
■ハイチは米国企業にとって一番安いスウェットショップ(搾取工場)になっています。時給11セント(13円)ということは、中国よりも安いです。
The US in Haiti: Why?
http://dominionpaper.ca/weblog/2004/02/the_us_in_haiti_why.html
▼上記の記事紹介先(引用)
「1994-2002年にかけて米国は7000万ドル(約80億円)をアリスティード大統領の反対勢力を作るために費やしているとのことです。その逆に、2000年以降、ブッシュ政権は総額5億ドル(550億円)のハイチへの経済援助を中止し、IMFにも働きかけて1.5億ドル(170億円)の支援を取り止めました。」
http://blog.digi-squad.com/archives/cat_societypolitics.php
◎ ハイチに関するラムゼー・クラークの声明
http://www1.jca.apc.org/aml/200403/38115.html
■偶然?
2/29に書き込んだ「ハイチどうなるの?」と同じ考えの方がいた。文章内容も私の(カナダ人の友人)が下記では「ハイチから勉強に来ている女の人」と違っているが、何でこうもそっくりなのか?
まあ。同じ意見でうれしいのだが、一字一句が私の書いた記事とそっくり。下記は私の文章コピーだと確信した。『』の中以外はすべて私の文章だ。
▼こちらは04.3.2.Tueに書かれている
偶然な同じ記事
「長きに渡るフランスの支配と搾取に必死で抵抗したハイチは200年前に独立した黒人初の共和国である。そこで最近、日本で報道されているハイチの危機の真実について触れてみる。
『実は同じ学校にハイチから勉強に来ている女の人』がいて、今回の事にひどく心を痛めている。彼女はアメリカに対して不快感を持っていると同時にアメリカの恐ろしさを口にしている。
そこから感じるものは、AP通信やロイター等の配信記事を何ら検証もせずに、国内へ垂れ流ししている日本の報道記事。まるで戦争前のイラクやアフガニスタンの時と全く同じ状況。米国の尻馬にのって米国の情報操作を根拠なく真に受け、アメリカに背く国はみな「独裁」国と呼び、あとあと、派遣記者が現地で違いに気づき、少しづつ誤魔化すように修正記事を書き始める。なんて無責任なんだろう。日本の政府やジャーナリズムは…。ハイチの民主化を妨害しているのは現在の大統領に反対している勢力とそれを陰から支援しているアメリカ・ブッシュ政権なのに…。
ところがWEBで見る限りでは、日本の新聞各紙は「最近、アリスティド大統領が独裁者になり・・選挙の不正云々」と報道している。それを流す報道機関の人たちに問いたい。あなた方はそれを見たんでしょうか?ひどい新聞社の記事はアメリカがハイチの民主化を進め、アリスティド大統領のバックアップと書かれている。これも全くの正反対。まるっきり逆。」
【ハイチの思い出(内乱総括)】
ハイチに関する日本での報道は一部正しく、大筋で間違いだと感じた。なぜなら、ハイチの首都、ポルトープランスに滞在していた?日本の記者の取材態勢に「?」だったから。
多くの日本の記事は米国メデイアの記事を要約した内容を掲載、ところがそれすらも細部を省略。米英誌のメジャー紙の記事の質・量と日本の要約された記事のそれとはハイチの現状と米仏との関係を理解する上で雲泥の差があった。某記者はマイアミにいながら、インターネットで海外記事を漁り、それをあたかも現地にいるような感覚で日本へ記事を送信。あるいはポルトープランスの高級ホテルで反乱軍(米軍支援のクーデター軍)の幹部や米軍側の記者会見の取材だけして、ハイチの大多数の貧乏なピープルには取材しなかった。(近寄りもしなかった)
だから、反乱軍(武装勢力)や米軍などが首都入りした時「人々
は歓迎」の記事を書いた。歓迎したのはハイチの裕福な階層やハイチ大統領の政策では利権を得られない人たち、あるいはそういう人たちに雇われている弱い立場の人や1$程度を貰って「仕事」として、デモや歓迎をさせられた人たちであった。
反乱軍の幹部たちやその親戚はハイチの麻薬利権の中心になる連中だ。なのに現状を正しく知らされない日本の人たちはアメリカ経由報道でハイチの大統領=麻薬利権と認識している。大統領周辺の高官のなかには確かにそういう輩もいるがアリスティド氏はキムジョンイルみたいに「麻薬」産業を奨励していたわけではない。
ユダヤのことわざ「99人のアホと一人の賢者が国を動かしているとしたら一人の賢者は役立たない」のように、アリスティド氏の立場を以上、簡単に説明しておく。(へんな例えだやけど)
Powered By
--------------------------------------------------------------------------------
Copyright (c) 1997-2010 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.
「四条河原町阪急」が今秋閉店へ
「四条河原町阪急」が今秋閉店へ
今秋の閉店が決まった四条河原町阪急(共同通信社ヘリから)
エイチ・ツー・オー(H2O)リテイリングは28日、傘下の阪急阪神百貨店が展開する「四条河原町阪急」(京都市下京区、社員数40人)の営業を、今秋をめどに終了すると発表した。
阪急阪神百貨店の新田信昭社長は、理由を「若者人口の減少や衣料品離れが進んだ。周辺にはファッションビルも進出し、店舗を取り巻く競合環境が変化した。売り場面積の狭さが最大のネックだった」と説明した。
百貨店業界は売り上げの低迷が続き、西武有楽町店(東京都千代田区)が今年末で閉店するなど、店舗閉鎖の発表が相次いでいる。消費低迷とともに、激しい販売競争も背景にある。
四条河原町阪急は1976年10月に開業。若者向けのファッション用品を中心にそろえ、順調に売り上げを伸ばした。だが、92年3月期の171億円をピークに、バブル経済の崩壊やDCブランドのブームの後退で売り上げが急低下。10年3月期決算では、売り上げが50億円を下回る見込みとなった。
店舗撤退後の利用について、同社は不明だとしている。
(2010年1月28日19時08分 スポーツ報知)
( 0)
この記事をlivedoorクリップに登録
( 0)
この記事をYahoo!ブックマークに登録
ソーシャルブックマークに登録
光子の窓 後年の数ある音楽バラエティ番組の源流となった番組としても知られる
当時24歳の若手女優、草笛光子をメインに据えた、歌ありコントありの本格的バラエティーショーで、後に同局の看板番組となる『シャボン玉ホリデー』『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『今夜は最高!』やNHKの『夢であいましょう』など、後年の数ある音楽バラエティ番組の源流となった番組としても知られる(実際それらの番組に携わった永六輔や秋元近史らにとってこの『光子の窓』が出世作となっており、そのノウハウが後年生かされた、といっても過言ではない)。
特に1960年10月30日に放送された、テレビを題材にした「イグアノドンの卵」(日本で初めてカラーVTRを使用)は、色彩効果に対してその芸術性の高さが認められ、第15回芸術祭奨励賞を受賞している。なお、『光子の窓』で現存する映像は放送当時、VTRが2インチで機器・テープとも高価で操作煩雑なうえ、著作権法などで番組の保存が著しく制約されていたことも重なり、放送の都度前回の映像はほとんど消去され、その1本のみである(但しキネコ方式で転写されたモノクロフィルム版)。
特に1960年10月30日に放送された、テレビを題材にした「イグアノドンの卵」(日本で初めてカラーVTRを使用)は、色彩効果に対してその芸術性の高さが認められ、第15回芸術祭奨励賞を受賞している。なお、『光子の窓』で現存する映像は放送当時、VTRが2インチで機器・テープとも高価で操作煩雑なうえ、著作権法などで番組の保存が著しく制約されていたことも重なり、放送の都度前回の映像はほとんど消去され、その1本のみである(但しキネコ方式で転写されたモノクロフィルム版)。
光子の窓 後年の数ある音楽バラエティ番組の源流となった番組としても知られる
当時24歳の若手女優、草笛光子をメインに据えた、歌ありコントありの本格的バラエティーショーで、後に同局の看板番組となる『シャボン玉ホリデー』『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』『今夜は最高!』やNHKの『夢であいましょう』など、後年の数ある音楽バラエティ番組の源流となった番組としても知られる(実際それらの番組に携わった永六輔や秋元近史らにとってこの『光子の窓』が出世作となっており、そのノウハウが後年生かされた、といっても過言ではない)。
特に1960年10月30日に放送された、テレビを題材にした「イグアノドンの卵」(日本で初めてカラーVTRを使用)は、色彩効果に対してその芸術性の高さが認められ、第15回芸術祭奨励賞を受賞している。なお、『光子の窓』で現存する映像は放送当時、VTRが2インチで機器・テープとも高価で操作煩雑なうえ、著作権法などで番組の保存が著しく制約されていたことも重なり、放送の都度前回の映像はほとんど消去され、その1本のみである(但しキネコ方式で転写されたモノクロフィルム版)。
特に1960年10月30日に放送された、テレビを題材にした「イグアノドンの卵」(日本で初めてカラーVTRを使用)は、色彩効果に対してその芸術性の高さが認められ、第15回芸術祭奨励賞を受賞している。なお、『光子の窓』で現存する映像は放送当時、VTRが2インチで機器・テープとも高価で操作煩雑なうえ、著作権法などで番組の保存が著しく制約されていたことも重なり、放送の都度前回の映像はほとんど消去され、その1本のみである(但しキネコ方式で転写されたモノクロフィルム版)。
2010年1月13日水曜日
レディー・ガガ 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グローバルシスオペの提案についての投票が行われています。 提案の詳細について
[隠す]
[翻訳にご協力ください!]
レディー・ガガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
レディー・ガガ
2009年3月に行われたコンサート、The Fame Ball Tourでのガガ。
2009年3月に行われたコンサート、The Fame Ball Tourでのガガ。
基本情報
出生名 Stefani Joanne Angelina Germanotta[1]
出生 1986年3月28日(23歳)
出身地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
ジャンル ポップ、ダンス[2]、エレクトロニカ[3][4]
職業 歌手、ソングライター、ミュージシャン
担当楽器 声、ピアノ、シンセサイザー
活動期間 2006年 – 現在
レーベル デフ・ジャム(2007-2008年)
インタースコープ・レコード(2008年-現在)
公式サイト www.ladygaga.com
表・話・編・歴
ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ(1986年3月28日 - [5])は、レディー・ガガ[6]の芸名で知られるアメリカ合衆国のレコーディング・アーティスト。ガガは19歳の時にデフ・ジャムと契約し、ニューヨーク市の近郊のクラブでダンサーをしながら生計を立てた。また同時期インタースコープ・レコードとソングライターとして契約をし、同レーベルのアーティストを中心に複数のミュージシャンに楽曲提供を行った。その後楽曲提供を行う中でエイコンにガガの歌手としての才能を認められ、エイコン自身のレーベルコンライブとレコード契約し、歌手としてのキャリアをスタートさせた。
2008年にリリースされたガガのデビュー・アルバム『ザ・フェイム』は商業的に大きな成功を収めた。アルバムは多くの批評家から肯定的評価を受けたのに加え、4カ国の音楽チャートで1位を獲得。また、アメリカ合衆国ビルボードのダンス/エレクトロニカ・アルバム・チャートでも1位になった。アルバムからの最初のシングル2曲「ジャスト・ダンス」、「ポーカー・フェイス」は世界中のチャートで1位を獲得する大ヒットとなり、前者は第51回グラミー賞にて最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされた。ガガは2009年にニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックツアーとプッシーキャット・ドールズのツアーに同行した後、自身初のライブ・ツアーThe Fame Ball Tourに乗り出している。彼女は現在までにデジタル・シングルで計2000万ユニット、アルバムは400万枚以上を売り上げており、2009年の売上面で大きな成功を収めたアーティストの一人となった[7][8]。
音楽的にガガはデヴィッド・ボウイとクイーンの様なグラム・ロッカーのほか、マイケル・ジャクソンやカイリー・ミノーグ、マドンナといった複数のポップ歌手からの影響を受けている。また同時に自身が作詞・作曲とパフォーマンスを行う上で必須の部分であると主張するファッションの面からも強い影響を受けている。更にガガはゲイ・コミュニティへの支持を打ち出しており、自らが活動初期の段階から大きな成功を収めることが出来た点については同性愛者からの支持があったことをあげている。
目次
[非表示]
* 1 来歴
o 1.1 1986 – 2004年:生い立ち
o 1.2 2005 - 2007年:初期のキャリア
o 1.3 2008年 - 現在:ザ・フェイム
* 2 音楽性と影響
* 3 ディスコグラフィ
* 4 ツアー
* 5 賞歴
* 6 脚注
* 7 外部リンク
来歴 [編集]
1986 – 2004年:生い立ち [編集]
ガガはイタリア系アメリカ人の父ジョセフと同じくイタリア系のシンシア・ジャーマノッタの最年長の子供としてニューヨーク州ヨンカーズに生まれる。父はインターネット企業の実業家[9][10][11]。カトリック系の私立学校、Convent of the Sacred Heartに通う[12]。同学校はヒルトン姉妹(パリスとニッキー)も在籍していたお嬢様学校だが[13]、パリスとは6歳年が離れており学年が違う為、学校の廊下で見かけたことしかないという[14]。 4歳で楽譜なしでピアノが演奏できるようになり、13歳で初のピアノ・バラードを作曲した。14歳からニューヨークのクラブでパフォーマンスを開始し、 17歳で世界で20人しか早期入学が許されないニューヨークにあるティッシュ・スクール・オブ・アートに入学する。そこで彼女は音楽を本格的に学び、エッセイや論文を書くことによって作詞作曲技術を改善した。後に音楽活動に集中するために学校から退いた[15]。
2005 - 2007年:初期のキャリア [編集]
レストランでパフォーマンスをする初期のキャリアにおけるガガ。
ガガは19歳の時、デフ・ジャム・レコーディングスとの間で契約を結んだ。同じころ、親元を離れストリップクラブで働き出す。このことは特に隠さず、「ストリップクラブで働いていたの。私のようなリッチなイタリア系の家庭の出では珍しいことよね」とストリッパーとして生計を立てていたことを明かしている。ストリッパーとして人気があったようで、ステージでヘアスプレイに火を付けて、狂ったように踊ったという。家族の助けなしに生活することで自由を実感したと語るが、家族は認めてくれなかった[16]。その他、ドラァグ・クイーンとゴーゴーダンサーとパフォーマンスを行うためにクラブに出入りしており、このことを知った父は大変なショックを受け、ガガ本人も「あのとき、2、3ヶ月の間父は私を直視することが出来なかった」と認めている[12]。ガガの初期に制作された楽曲に携わった音楽プロデューサーのロブ・フサーリはガガの声のスタイルをフレディー・マーキュリーのそれと比較し、クイーンの楽曲「Radio Ga Ga」をもじり、現在の芸名"Lady Gaga"を彼女に与えた[17][13]。
2007年にインタースコープ・レコードとソングライター契約し、同レーベルに所属するファーギー、ブリトニー・スピアーズ、プッシーキャット・ドールズ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、エイコンといった有名アーティストに楽曲を提供した[13]。制作者として活動を続けていたときにエイコンがガガには制作者としてだけではなく、歌手としての才能もあると認め自身のレーベルコンライブとアーティスト契約を締結。エイコンはガガについて、「類稀な存在」「ダイアモンドの原石」と表現している[18]。ガガはデビュー・アルバムの制作を音楽プロデューサーレッドワンと共に行った。
2008年 - 現在:ザ・フェイム [編集]
2008年にデビュー・アルバム『ザ・フェイム』をリリース。彼女自身が全ての歌詞を手がけ、メロディー作曲も自分でこなし、シンセサイザーの部分も自らが演奏している[13]。『ザ・フェイム』は、オーストリア、イギリス、カナダ、アイルランドチャートにて1位を獲得。アメリカ合衆国とオーストラリアでは最高位4位を[19]、日本では最高位6位を記録している[20]。全世界での売上枚数は400万枚を突破している[8]。アルバムからのリードシングル「ジャスト・ダンス」は2008年4月8日にリリースされ、世界各国で首位を獲得。「ジャスト・ダンス」は、アメリカ合衆国やイギリスなど世界5ヶ国のシングルチャートで1位を獲得している[21]。2009年2月に行われた第51回グラミー賞では「ジャスト・ダンス」で最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされるも、ダフト・パンクの「仕事は終わらない」が受賞し、ガガは受賞を逃している[22]。続いてリリースされた「ポーカー・フェイス」は2009年4月11日付けのアメリカ合衆国のシングルチャートBillboard Hot 100で1位となった。これによりガガは2000年以降、デビュー・アルバムから2枚のシングルを全米チャート1位に送り込んだ初の新人アーティストとなった。1st、2ndシングル2枚で全米1位を達成した女性新人アーティストは3人で、ガガはティファニー、マライア・キャリー、クリスティーナ・アギレラに次ぐ4人目となった[23][24]。この楽曲はイギリス、カナダ、オーストラリアを始めとした世界17の国と地域のシングルチャートで1位を獲得している[21]。また、「ポーカー・フェイス」はヨーロッパ全土を対象にしたシングル・チャートEurochart Hot 100 Singlesでも16週にわたって1位を記録[25]。更にイギリスのThe Official Chart Companyが発表した"イギリスで最もダウンロードされた曲"では77万ユニットのダウンロード数により1位を獲得している[26]。
ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックツアーにてパフォーマンスをしているガガ。
その後、ガガは同じインタースコープ・レコード所属のポップ・グループニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのアメリカ市場でのツアーに同行。ガガは2008年10月8日のロサンゼルス公演から最終日の11月までを彼らと共に回り、またこれがガガにとって初のツアーとなった[27]。なお、ガガは彼らの新作アルバム『ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック』に楽曲「ビッグ・ガール・ナウ」を提供、客演も行っている[28]。2009年1月には、オセアニア地方のみで「エイ、エイ (ナッシング・エルス・アイ・キャン・セイ)」をシングル・リリース。同曲はオーストラリア、ニュージーランド双方でゴールドの認定を受けている[29][30]。ガガ初の自身の北アメリカライヴ・ツアーThe Fame Ball Tourは2009年3月12日からスタートし、このツアーは批評家から賞賛された。5月にはプッシーキャット・ドールズでオープニング・アクトも勤めている。その後世界市場に向けてのサード・シングル「ラヴゲーム」を発表。この楽曲のミュージック・ビデオは、オーストラリアのテレビ局Network Tenではビデオの内容と楽曲の歌詞が"過激すぎる"ことを理由にビデオの放映が中止され、イギリスでは同じ理由でシングル化自体が見送られている。この楽曲は7月に米ビルボード誌のエアプレイ・チャートMainstream Top 40の2009年7月25日付のチャートで1位を獲得。デビュー・アルバムから「ジャスト・ダンス」、「ポーカー・フェイス」の2曲に続けて3曲を連続で同チャート1位に送り込んだ史上3組目のアーティストとなった[31]。
MTV Video Music Awards 2009でのガガ。
2009年5月、有力な音楽雑誌『ローリング・ストーン』の毎年恒例となっているHOTリスト号の同誌6月号の表紙をセミ・ヌード姿で飾った[32]。この時ガガは同誌のインタビューの中でバイ・セクシャルであることを告白した[33][34]。ガガは6月にリリースされたラッパーワーレイのシングル「チリン」にも客演で参加している[35]。7月にはイギリスで「パパラッチ」をシングル・リリースしている。MTV Video Music Awards 2009でガガは、この楽曲を含む同年のアワード最多となる合計9部門でノミネートを受け[36][37]、9月に行われた授賞式では「パパラッチ」のライブ・パフォーマンスを披露した他、「ポーカー・フェイス」での最優秀新人アーティスト賞を含む合計3部門で受賞[38]。加えて、米ビルボード誌主催のWomen In Musicアワードでは新人賞にあたるRising Star賞を受賞している[39]。
National Equality Marchでスピーチするレディー・ガガ(2009年10月11日)
11月にはデビュー・アルバムの再発盤『ザ・フェイム:モンスター』のリリースが予定されている[40][41][42]。しかしガガは再発盤のリリースはファンにとってフェアではないという理由から否定的な立場で、そのため『モンスター』には新曲を沢山収録する予定であると話している。この再発盤からのファースト・シングル「バッド・ロマンス」は『サタデー・ナイト・ライヴ』にて初披露されている[43]。同番組ではマドンナとパフォーマンスを披露している。同年10月10日にHuman Rights Campaignのデモ行進に出席。行進前に「音楽業界には未だ多くの同性愛嫌悪が存在する。」とスピーチ[44][45]。「今夜は自分の曲は演奏しないの。私のための夜ではない」と述べ、グランドピアノに座る前に「あなたたちのための夜だから」と言って、ジョン・レノンの『イマジン』を一部歌詞とメロディーを変えて披露した。また、1998年に殺害された同性愛者の大学生マシュー・シェパードへのメッセージを込めた[44]。『バッド・ロマンス』はアメリカ、オーストラリア、アイルランドでトップ10入り、イギリス、カナダ、スウェーデンのチャートで1位を獲得した[46][47]。『ザ・モンスター』からのシングル「スピーチレス」は2009年12月11日に行われたロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンスで披露した。そこでは、エリザベス女王と対面した[48]。
音楽性と影響 [編集]
ガガは主にデヴィッド・ボウイ、クラウス・ノミとクイーンの様な魅力的なロッカーや、ポップ歌手のマドンナ、マイケル・ジャクソン、芸術家のアンディ・ウォーホル、詩人のライナー・マリア・リルケ、ファッション・アイコンとエンターテイナーとしてのグレース・ジョーンズに影響を受けている[2][49]。ガガのボーカルはマドンナやグウェン・ステファニーと頻繁に比較される。音楽の構図は1980年代のポップと1990年代のユーロポップを思い出させると言われている[50]。
Fame Ball tourにて、泡をイメージしたプラスチックの衣装に身を包むガガ。
ガガはファッションについて「何よりも大切なもの」でまた「私のすべて」であると話している[15][51]。そのファッションに対する愛情は母親の影響が大きく「常に身だしなみがよく、美しい」と語っている[9]。また、「私が音楽を書いているとき、私は私がステージで着たい服について考えている。それは、パフォーマンスアート、ポップパフォーマンスアート、ファッションと全てについてである。」と主張している。彼女は彼女自身が持つ創造的なチームを「ハウス・オブ・ガガ」と呼んでいる。チームは彼女の服、ステージ、ヘアスタイルなど多くに関わる[52]。
ガガは6つのタトゥーをいれていることが確認されている[53]。手首にあるピースシンボルのタトゥーはイギリスのミュージシャン、ジョン・レノンに影響を受けたもので、ガガは『ガーディアン』において彼を「英雄」だと語っている[54]。左腕には詩人のライナー・マリア・リルケの詩が引用されている。またガガはリルケを「一番好きな哲学者」と評している[55]。 日本のポップカルチャーに感銘を受け来日時にLOVE TOKYOと左肩にタトゥーを入れた。 ガガはドナテラ・ヴェルサーチが自身のミューズであると考えていると述べた[15]。ガガの発言を受けて、『ロサンゼルス・タイムズ』のメリッサ・マグサイサイは「ガガがトップとボトムを同時に着ることを嫌悪する。シャンパンをがぶ飲みし油っぽい男性に仰がれているのは、まさにドナテラ風」というコメントをした[56]。2008年末頃に歌手のクリスティーナ・アギレラとの類似が指摘され始めた。指摘されたのは主にスタイル、ヘアーやメイクアップの類似であるが[15]、これを聞いたアギレラは「ガガを知らない」「ガガが男性か女性かも知らない」と述べている[15]。この発言を受けてガガは「彼女はビッグスター。そして、類似が指摘されるまで多くの人は私を知らなかったから、何かあるとすれば私は彼女に花を送らなくちゃいけない」というコメントを発表した。その後、ガガは「私はこのスキャンダルで記憶されたくない」と付け加えた[57][58][12]。ガガの髪は自然なブルネットである。しかし、それだと歌手仲間であるエイミー・ワインハウスに間違えられるので髪をブロンドに染めた[59]。
ガガは早い段階での成功やメーンストリーム・アーティストになれたのには同性愛者のファンとそのコミュニティでの自身への支持があり、それらのアイコンとなったことが大きいと述べている[60][61][62]。ガガは「私の分岐点は、同性愛者のコミュニティであった。私はそれほど多くの同性愛者のファンがいる。そして、彼らは私にとても忠実である。そして、彼らは私を持ち上げた。彼らは私を常に支持する、そして、私は彼らを常に支持する。それはファンベースを作る簡単なものではない。」とコメントしている[63][64]。ガガはマンハッタンに拠点を置くLGBTマーケティング会社「FlyLife」でスタジオ・アルバム『ザ・フェイム』を観客の前で初めて演奏した。そして、「私は貴方を愛している。貴方はこのプロジェクトの最初の鼓動であった。そして、貴方の支持と輝きは私にとっての世界を意味する。私はこの驚くべきチームと協力し同性愛者のコミュニティの為に戦う。」とコメントした[65] 。ガガのテレビ番組での最初のパフォーマンスの内の1つは2008年5月放送のLGBTテレビジョン・ネットワークLogoのNewNowNext Awardsであり、そこで「ジャスト・ダンス」を披露している[66] 。同年6月にサンフランシスコ・プライドでもパフォーマンスを行っている[67]。2009年5月に『エレン・デジェネレス・ショー』にゲスト出演した際に、司会のエレン・デジェネレスを「女性と同性愛者コミュニティの為の発想の源」と称賛した[68]。また、MTV Video Music Awards 2009でガガは、「神とゲイに感謝するわ」という受賞スピーチも行っている[69]。
ディスコグラフィ [編集]
詳細は「レディー・ガガのディスコグラフィ」を参照
スタジオ・アルバム
* ザ・フェイム(2008年)
* ザ・モンスター(2009年)
ツアー [編集]
* The Fame Ball Tour(2009年)
* The Monster Ball Tour(2009年 – 2010年)
賞歴 [編集]
詳細は「レディー・ガガの受賞とノミネートの一覧」を参照
脚注 [編集]
[ヘルプ]
1. ^ US Copyright Law. "Germanotta,Stefani Joanne Angelina". 2009年3月31日 閲覧。
2. ^ a b Birchmeier, Jason. "Biography" (英語). オールミュージック. 2009年1月13日 閲覧。
3. ^ Thrills, Adrian (2008年1月9日). "Why the world is going gaga for electro-pop diva Stefani" (英語). Daily Mail. Mail Online. 2009年1月12日 閲覧。
4. ^ Powers, Nicole (2008年7月23日). "Lady Gaga :: The Fame" (英語). URB. 2009年2月20日 閲覧。
5. ^ "レディー・ガガ プロフィール". TimeWarp. 2009年6月10日 閲覧。
6. ^ レディー・ガガ ユニバーサル・ミュージック 2009年5月28日閲覧。
7. ^ "Lady Gaga Makes Top 40 Radio History" (英語). American City Business Journals (2009年7月14日). 2009年9月24日 閲覧。
8. ^ a b Release, Press (2009年10月8日). “Lady Gaga Returns With 8 New Songs on 'The Fame Monster'” (英語). Yahoo! Finance (Yahoo!). http://finance.yahoo.com/news/Lady-Gaga-Returns-With-8-New-prnews-3764233688.html?x=0 2009年10月10日 閲覧。
9. ^ a b Warrington, Ruby (February 22, 2009). "Lady Gaga: ready for her close-up". Sunday Times. The New York Times Company. 2009-02-22 閲覧。
10. ^ ビルボード (2008年1月8日). "Chart Beat: Lady GaGa, Luis Fonsi, Taylor Swift, 'Purple Rain'" (英語). 2009年3月30日 閲覧。
11. ^ "Lady Gaga: ready for her close-up" (英語). サンデータイムズ (2009年2月22日). 2009年3月30日 閲覧。
12. ^ a b c "Lady GaGa: the future of pop?" (英語). サンデータイムズ (2008年12月14日). 2009年3月30日 閲覧。
13. ^ a b c d ユニバーサルミュージック. "LADY GAGA / レディー・ガガ". 2009年1月25日 閲覧。
14. ^ "Lady GaGa: the future of pop?". TIME SONLINE (2008年12月14日). 2009年1月25日 閲覧。
15. ^ a b c d e "Lady GaGa: the future of pop?". Sunday Times. The New York Times Company (December 14, 2008). 2009-02-06 閲覧。
16. ^ "大ブレーク中の歌手レディ・ガガ 「私は元ストリッパー」と赤裸々告白". サイゾーウーマン (2009年3月). 2009年4月6日 閲覧。
17. ^ About.com (2008年6月10日). "Lady Gaga Interview - Interview with Lady Gaga". 2009年1月25日 閲覧。
18. ^ “エイコン、レディー・ガガの成功は「努力の賜物」”. MTV JAPAN. (2009年10月5日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16371 2009年10月2日 閲覧。
19. ^ "Lady Gaga - The Fame" (英語). aCharts.us. 2009年8月9日 閲覧。
20. ^ "2009年06月第1週の邦楽アルバムランキング情報". オリコン. 2009年8月9日 閲覧。
21. ^ a b レディー・ガガ:ザ・フェイム ユニバーサル・ミュージック 2009年5月28日閲覧。
22. ^ “第51回グラミー賞ノミネート [D&S編]”. HMV. (2009年2月9日). http://www.hmv.co.jp/en/news/article/812040131 2009年6月9日 閲覧。
23. ^ “HOT100チャートで2曲目の1位獲得”. エンタメニュース (ANAP). (2009年5月27日). http://www.anapnet.com/ent/21247 2009年5月28日 閲覧。
24. ^ Billboard (2009年4月2日). "Lady GaGa Scores Hot 100 Milestone With 'Poker Face'". 2009年4月3日 閲覧。
25. ^ “全欧アルバム・チャートで首位ならず”. エンタメニュース (ANAP). (2009年6月26日). http://www.anapnet.com/ent/22523 2009年8月9日 閲覧。
26. ^ “これまでにUKで最もダウンロードされた曲トップ10”. MSN エンターテイメント (MSN). (2009年9月7日). http://topics.jp.msn.com/entertainment/music/article.aspx?articleid=135177 2009年9月24日 閲覧。
27. ^ "International Pop Star Lady Gaga Set to Tour With New Kids on the Block" (英語). ロイター (2008年10月3日). 2009年1月8日 閲覧。
28. ^ "NEW KIDS ON THE BLOCK :: ニュー・キッズ・オンザ・ブロック". MSN エンターテイメント. ユニバーサル・ミュージック. 2009年9月24日 閲覧。
29. ^ "2009 Single Accreditatios" (英語). オーストラリアレコード産業協会 (2009年3月31日). 2009年4月30日 閲覧。
30. ^ "New Zealand Gold/Platinum Singles". ニュージーランドレコード産業協会. Radioscope (2009年3月24日). 2009年5月26日 閲覧。
31. ^ "LADY GAGAが「Billboard」にて歴史的な快挙を達成". bounce.com. タワーレコード (2009年7月14日). 2009年8月9日 閲覧。
32. ^ VIBE-NET.COM (2009年05月29日). "Lady Gaga 『ローリング・ストーン』誌で大胆ヌードを披露!". 2009年07月24日 閲覧。
33. ^ “The Rolling Stone 2009 Hot List”. ローリング・ストーン. (2009年5月28日). http://www.rollingstone.com/news/story/28455332/the_rolling_stone_2009_hot_list 2009年5月29日 閲覧。
34. ^ “レディー・ガガ&ダンカン・ジェイムスの衝撃の告白”. ELLE. (2009年7月1日). http://www.elle.co.jp/fashion/feature/celeb09_0731/gossip3 2009年9月24日 閲覧。
35. ^ “レディ・ガガとのコラボで注目のワーレイ、発売決定。”. notrax. (2009年7月8日). http://notrax.jp/news/detail/0000006890.html 2009年9月24日 閲覧。
36. ^ “MTV Video Music Awards 2009 全ノミネート作品リスト”. MTV JAPAN. (2009年8月5日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16092 2009年8月9日 閲覧。
37. ^ “VMA 2009 ビヨンセとレディー・ガガが最多ノミネート!”. MTV JAPAN. (2009年8月5日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16093 2009年8月9日 閲覧。
38. ^ “MTV VIDEO MUSIC AWARDS 2009 全受賞作品リスト”. MTV JAPAN. (2009年9月14日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16296 2009年9月24日 閲覧。
39. ^ "ビヨンセとレディー・ガガが「ビルボード」誌が選ぶ最もパワフルな女性ミュージシャンに". TimeWarp (2009年10月2日). 2009年10月5日 閲覧。
40. ^ "[CD] ザ・フェイム モンスター・エディション (仮) [5万枚限定盤]". Neowing. 2009年10月5日 閲覧。
41. ^ "ザ・フェイム:-モンスター・エディション- [Limited Edition]". Amazon.co.jp. 2009年10月5日 閲覧。
42. ^ "Fame: Monster Edition". HMV. 2009年10月5日 閲覧。
43. ^ 村上ひさし (2009年10月5日). “レディー・ガガ、コントでマドンナと対決&新曲披露!”. MySpace. http://news.jp.myspace.com/NewsArticles/4527.aspx 2009年10月5日 閲覧。
44. ^ a b Fowler, Brand (2009-10-12). “Kanye Who? Lady Gaga Teams Up With President Obama”. E! Entertainment Television (E! Online). http://www.eonline.com/uberblog/b148428_kanye_who_lady_gaga_teams_up_with.html 2009-12-12 閲覧。
45. ^ Zak, Dan (2009-10-12). “For Gay Activists, The Lady Is a Champ”. The Washington Post (The Washington Post Company). http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/11/AR2009101101892_2.html?hpid=topnews&sid=ST2009101101924 2009-12-12 閲覧。
46. ^ Release, Press (2009-10-08). “Lady Gaga Returns With 8 New Songs on 'The Fame Monster'”. Yahoo! Finance (Yahoo!). http://www.prnewswire.com/news-releases/lady-gaga-returns-with-8-new-songs-on-the-fame-monster-63780227.html 2009-10-09 閲覧。
47. ^ "Lady Gaga - Bad Romance world charts". acharts.us. 2009-11-17 閲覧。
48. ^ Vena, Jocelyn (2008-12-08). "Lady Gaga Performs For The Queen Of England". MTV. 2009-12-15 閲覧。
49. ^ Symonds, Alexandra. "Lady GaGa: "Grace Jones, Androgynous, Robo, Future Fashion Queen"". Prefix Magazine. 2009-07-11 閲覧。
50. ^ Petridis, Alexis (2009-01-09), “Film & Music: Rock & pop: reviews: All you'll hear is Radio GaGa: Pop doesn't have to be clever or original - which is good news for Lady GaGa, says Alexis Petridis: Lady GaGa: The Fame: 3 stars: (Interscope) pounds 10.76”, The Boston Globe, ISSN 02613077
51. ^ Harris, Chris (December 9, 2008). "Lady GaGa Brings Her Artistic Vision Of Pop Music To New Album - And A New Kids Song". MTV. MTV Networks Entertainment Group. 2009-01-08 閲覧。
52. ^ Garcia, Cathy (March 8, 2009). "Lady Gaga Burning Up Album Charts". Janmedia Interactive. Korea Times. 2009-03-10 閲覧。
53. ^ Setoodeh, Ramin (2009-09-03). "Lady Gaga Will Rock the VMAs". The Washington Post Company. Newsweek. 2009-09-06 閲覧。
54. ^ Thomson, Graeme (2009-09-06). "Soundtrack of my life: Lady Gaga". Guardian Media Group. Guardian.co.uk. 2009-09-06 閲覧。
55. ^ "著名人の一言:レディー・ガガ". ジャパンタイムズ. 2009年10月5日 閲覧。
56. ^ Magsaysay, Melissa (January 29, 2009). "Is Lady Gaga Donatella Versace's doppelganger?". Los Angeles Times. 2009-01-30 閲覧。
57. ^ OK! (2008年12月31日). "GAGA: I'M THANKFUL FOR CHRISTINA". 2009年4月6日 閲覧。
58. ^ デイリー・メール (2009年2月3日). "So who copied who? Lookalikes Lady GaGa and Christina Aguilera embroiled in style row". 2009年4月6日 閲覧。
59. ^ VIBE-NET.COM (2009年06月16日). "Lady GaGa エイミー・ワインハウスとの差別化で金髪に!?". 2009年7月24日 閲覧。
60. ^ Thomas, Matt. "Going Gaga". fab Magazine. 2009-08-11 閲覧。
61. ^ "A fashion-forward diva is driving her fans gaga". Philadelphia Inquirer (March 25, 2009). 2009-08-11 閲覧。
62. ^ "The Lady Gaga Talks 'The Fame'". 247Gay.com. 2009-08-11 閲覧。
63. ^ Vena, Jocelyn (2009-05-07). "Lady Gaga On Success: 'The Turning Point For Me Was The Gay Community'" (英語). MTV.com. 2009年8月11日 閲覧。
64. ^ “レディー・ガガ、ゲイ・コミュニティーに感謝”. MTV JAPAN. (2009年8月17日). http://www.mtvjapan.com/news/celebrity/16144 2009年9月26日 閲覧。
65. ^ 『ザ・フェイム』ライナーノートより
66. ^ "NewNowNext Awards". 2009-08-11 閲覧。
67. ^ "2008 Main Stage Line-Up". 2009-08-11 閲覧。
68. ^ "Lady GaGa's wacky headgear almost knocks out chat show host Ellen DeGeneres". Daily Mail (2009-05-13). August 11, 2009 閲覧。
69. ^ "Lady Gaga's Shocking 2009 VMA Fashion Choices" (英語). MTV.com (2009年9月14日). 2009年9月19日 閲覧。
外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズには、レディー・ガガに関連するカテゴリがあります。
* 日本公式サイト
* 公式サイト (英語)
* Lady Gaga - MySpace (英語)
* レディー・ガガ - Internet Movie Database (英語)
* Lady Gaga - Twitter
[隠す]
表・話・編・歴
レディー・ガガ
スタジオ・アルバム
ザ・フェイム · ザ・モンスター
シングル
ジャスト・ダンス · ポーカー・フェイス · エイ、エイ (ナッシング・エルス・アイ・キャン・セイ) · ラヴゲーム · パパラッチ · バッド・ロマンス
客演シングル
チリン · ビデオ・フォーン
プロモーションシングル
ビューティフル、ダーティ、リッチ · クリスマスツリー
その他の曲
ファッション · スピーチレス · テレフォン
ツアー
The Fame Ball Tour · The Monster Ball Tour
関連項目
ディスコグラフィ · 受賞とノミネート
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%AC」より作成
カテゴリ: アメリカ合衆国のシンガーソングライター | アメリカ合衆国の随筆家 | アメリカ合衆国出身のLGBTミュージシャン | ユニバーサルミュージックのアーティスト | デフ・ジャム・レコードのアーティスト | ニューヨーク州出身のミュージシャン | MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード受賞者 | イタリア系アメリカ人 | ウェールズ系アメリカ人 | 1986年生 | 存命人物
表示
* 本文
* ノート
* 編集
* 履歴
個人用ツール
* ベータ版を試す
* ログインまたはアカウント作成
案内
* メインページ
* コミュニティ・ポータル
* 最近の出来事
* 新しいページ
* 最近の更新
* おまかせ表示
* 練習用ページ
* アップロード (ウィキメディア・コモンズ)
ヘルプ
* ヘルプ
* 井戸端
* お知らせ
* バグの報告
* 寄付
* ウィキペディアに関するお問い合わせ
検索
ツールボックス
* リンク元
* 関連ページの更新状況
* 特別ページ一覧
* 印刷用バージョン
* この版への固定リンク
* この項目を引用する
他の言語
* Afrikaans
* Alemannisch
* العربية
* Български
* Català
* Česky
* Kaszëbsczi
* Cymraeg
* Dansk
* Deutsch
* Ελληνικά
* English
* Esperanto
* Español
* Eesti
* Euskara
* فارسی
* Suomi
* Français
* 贛語
* Galego
* עברית
* Hrvatski
* Magyar
* Bahasa Indonesia
* Italiano
* 한국어
* Latina
* Limburgs
* Lietuvių
* Latviešu
* Македонски
* Монгол
* मराठी
* Malti
* Nederlands
* Norsk (nynorsk)
* Norsk (bokmål)
* Polski
* Português
* Română
* Русский
* Sámegiella
* Simple English
* Slovenčina
* Slovenščina
* Shqip
* Српски / Srpski
* Svenska
* Kiswahili
* Ślůnski
* ไทย
* Tagalog
* Türkçe
* Українська
* Tiếng Việt
* ייִדיש
* 中文
Powered by MediaWiki
Wikimedia Foundation
* 最終更新 2010年1月8日 (金) 07:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
* テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。
* プライバシー・ポリシー
* ウィキペディアについて
* 免責事項
[隠す]
[翻訳にご協力ください!]
レディー・ガガ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション, 検索
レディー・ガガ
2009年3月に行われたコンサート、The Fame Ball Tourでのガガ。
2009年3月に行われたコンサート、The Fame Ball Tourでのガガ。
基本情報
出生名 Stefani Joanne Angelina Germanotta[1]
出生 1986年3月28日(23歳)
出身地 アメリカ合衆国ニューヨーク州
ジャンル ポップ、ダンス[2]、エレクトロニカ[3][4]
職業 歌手、ソングライター、ミュージシャン
担当楽器 声、ピアノ、シンセサイザー
活動期間 2006年 – 現在
レーベル デフ・ジャム(2007-2008年)
インタースコープ・レコード(2008年-現在)
公式サイト www.ladygaga.com
表・話・編・歴
ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタ(1986年3月28日 - [5])は、レディー・ガガ[6]の芸名で知られるアメリカ合衆国のレコーディング・アーティスト。ガガは19歳の時にデフ・ジャムと契約し、ニューヨーク市の近郊のクラブでダンサーをしながら生計を立てた。また同時期インタースコープ・レコードとソングライターとして契約をし、同レーベルのアーティストを中心に複数のミュージシャンに楽曲提供を行った。その後楽曲提供を行う中でエイコンにガガの歌手としての才能を認められ、エイコン自身のレーベルコンライブとレコード契約し、歌手としてのキャリアをスタートさせた。
2008年にリリースされたガガのデビュー・アルバム『ザ・フェイム』は商業的に大きな成功を収めた。アルバムは多くの批評家から肯定的評価を受けたのに加え、4カ国の音楽チャートで1位を獲得。また、アメリカ合衆国ビルボードのダンス/エレクトロニカ・アルバム・チャートでも1位になった。アルバムからの最初のシングル2曲「ジャスト・ダンス」、「ポーカー・フェイス」は世界中のチャートで1位を獲得する大ヒットとなり、前者は第51回グラミー賞にて最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされた。ガガは2009年にニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックツアーとプッシーキャット・ドールズのツアーに同行した後、自身初のライブ・ツアーThe Fame Ball Tourに乗り出している。彼女は現在までにデジタル・シングルで計2000万ユニット、アルバムは400万枚以上を売り上げており、2009年の売上面で大きな成功を収めたアーティストの一人となった[7][8]。
音楽的にガガはデヴィッド・ボウイとクイーンの様なグラム・ロッカーのほか、マイケル・ジャクソンやカイリー・ミノーグ、マドンナといった複数のポップ歌手からの影響を受けている。また同時に自身が作詞・作曲とパフォーマンスを行う上で必須の部分であると主張するファッションの面からも強い影響を受けている。更にガガはゲイ・コミュニティへの支持を打ち出しており、自らが活動初期の段階から大きな成功を収めることが出来た点については同性愛者からの支持があったことをあげている。
目次
[非表示]
* 1 来歴
o 1.1 1986 – 2004年:生い立ち
o 1.2 2005 - 2007年:初期のキャリア
o 1.3 2008年 - 現在:ザ・フェイム
* 2 音楽性と影響
* 3 ディスコグラフィ
* 4 ツアー
* 5 賞歴
* 6 脚注
* 7 外部リンク
来歴 [編集]
1986 – 2004年:生い立ち [編集]
ガガはイタリア系アメリカ人の父ジョセフと同じくイタリア系のシンシア・ジャーマノッタの最年長の子供としてニューヨーク州ヨンカーズに生まれる。父はインターネット企業の実業家[9][10][11]。カトリック系の私立学校、Convent of the Sacred Heartに通う[12]。同学校はヒルトン姉妹(パリスとニッキー)も在籍していたお嬢様学校だが[13]、パリスとは6歳年が離れており学年が違う為、学校の廊下で見かけたことしかないという[14]。 4歳で楽譜なしでピアノが演奏できるようになり、13歳で初のピアノ・バラードを作曲した。14歳からニューヨークのクラブでパフォーマンスを開始し、 17歳で世界で20人しか早期入学が許されないニューヨークにあるティッシュ・スクール・オブ・アートに入学する。そこで彼女は音楽を本格的に学び、エッセイや論文を書くことによって作詞作曲技術を改善した。後に音楽活動に集中するために学校から退いた[15]。
2005 - 2007年:初期のキャリア [編集]
レストランでパフォーマンスをする初期のキャリアにおけるガガ。
ガガは19歳の時、デフ・ジャム・レコーディングスとの間で契約を結んだ。同じころ、親元を離れストリップクラブで働き出す。このことは特に隠さず、「ストリップクラブで働いていたの。私のようなリッチなイタリア系の家庭の出では珍しいことよね」とストリッパーとして生計を立てていたことを明かしている。ストリッパーとして人気があったようで、ステージでヘアスプレイに火を付けて、狂ったように踊ったという。家族の助けなしに生活することで自由を実感したと語るが、家族は認めてくれなかった[16]。その他、ドラァグ・クイーンとゴーゴーダンサーとパフォーマンスを行うためにクラブに出入りしており、このことを知った父は大変なショックを受け、ガガ本人も「あのとき、2、3ヶ月の間父は私を直視することが出来なかった」と認めている[12]。ガガの初期に制作された楽曲に携わった音楽プロデューサーのロブ・フサーリはガガの声のスタイルをフレディー・マーキュリーのそれと比較し、クイーンの楽曲「Radio Ga Ga」をもじり、現在の芸名"Lady Gaga"を彼女に与えた[17][13]。
2007年にインタースコープ・レコードとソングライター契約し、同レーベルに所属するファーギー、ブリトニー・スピアーズ、プッシーキャット・ドールズ、ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック、エイコンといった有名アーティストに楽曲を提供した[13]。制作者として活動を続けていたときにエイコンがガガには制作者としてだけではなく、歌手としての才能もあると認め自身のレーベルコンライブとアーティスト契約を締結。エイコンはガガについて、「類稀な存在」「ダイアモンドの原石」と表現している[18]。ガガはデビュー・アルバムの制作を音楽プロデューサーレッドワンと共に行った。
2008年 - 現在:ザ・フェイム [編集]
2008年にデビュー・アルバム『ザ・フェイム』をリリース。彼女自身が全ての歌詞を手がけ、メロディー作曲も自分でこなし、シンセサイザーの部分も自らが演奏している[13]。『ザ・フェイム』は、オーストリア、イギリス、カナダ、アイルランドチャートにて1位を獲得。アメリカ合衆国とオーストラリアでは最高位4位を[19]、日本では最高位6位を記録している[20]。全世界での売上枚数は400万枚を突破している[8]。アルバムからのリードシングル「ジャスト・ダンス」は2008年4月8日にリリースされ、世界各国で首位を獲得。「ジャスト・ダンス」は、アメリカ合衆国やイギリスなど世界5ヶ国のシングルチャートで1位を獲得している[21]。2009年2月に行われた第51回グラミー賞では「ジャスト・ダンス」で最優秀ダンス・レコーディング賞にノミネートされるも、ダフト・パンクの「仕事は終わらない」が受賞し、ガガは受賞を逃している[22]。続いてリリースされた「ポーカー・フェイス」は2009年4月11日付けのアメリカ合衆国のシングルチャートBillboard Hot 100で1位となった。これによりガガは2000年以降、デビュー・アルバムから2枚のシングルを全米チャート1位に送り込んだ初の新人アーティストとなった。1st、2ndシングル2枚で全米1位を達成した女性新人アーティストは3人で、ガガはティファニー、マライア・キャリー、クリスティーナ・アギレラに次ぐ4人目となった[23][24]。この楽曲はイギリス、カナダ、オーストラリアを始めとした世界17の国と地域のシングルチャートで1位を獲得している[21]。また、「ポーカー・フェイス」はヨーロッパ全土を対象にしたシングル・チャートEurochart Hot 100 Singlesでも16週にわたって1位を記録[25]。更にイギリスのThe Official Chart Companyが発表した"イギリスで最もダウンロードされた曲"では77万ユニットのダウンロード数により1位を獲得している[26]。
ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックツアーにてパフォーマンスをしているガガ。
その後、ガガは同じインタースコープ・レコード所属のポップ・グループニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックのアメリカ市場でのツアーに同行。ガガは2008年10月8日のロサンゼルス公演から最終日の11月までを彼らと共に回り、またこれがガガにとって初のツアーとなった[27]。なお、ガガは彼らの新作アルバム『ニュー・キッズ・オン・ザ・ブロック』に楽曲「ビッグ・ガール・ナウ」を提供、客演も行っている[28]。2009年1月には、オセアニア地方のみで「エイ、エイ (ナッシング・エルス・アイ・キャン・セイ)」をシングル・リリース。同曲はオーストラリア、ニュージーランド双方でゴールドの認定を受けている[29][30]。ガガ初の自身の北アメリカライヴ・ツアーThe Fame Ball Tourは2009年3月12日からスタートし、このツアーは批評家から賞賛された。5月にはプッシーキャット・ドールズでオープニング・アクトも勤めている。その後世界市場に向けてのサード・シングル「ラヴゲーム」を発表。この楽曲のミュージック・ビデオは、オーストラリアのテレビ局Network Tenではビデオの内容と楽曲の歌詞が"過激すぎる"ことを理由にビデオの放映が中止され、イギリスでは同じ理由でシングル化自体が見送られている。この楽曲は7月に米ビルボード誌のエアプレイ・チャートMainstream Top 40の2009年7月25日付のチャートで1位を獲得。デビュー・アルバムから「ジャスト・ダンス」、「ポーカー・フェイス」の2曲に続けて3曲を連続で同チャート1位に送り込んだ史上3組目のアーティストとなった[31]。
MTV Video Music Awards 2009でのガガ。
2009年5月、有力な音楽雑誌『ローリング・ストーン』の毎年恒例となっているHOTリスト号の同誌6月号の表紙をセミ・ヌード姿で飾った[32]。この時ガガは同誌のインタビューの中でバイ・セクシャルであることを告白した[33][34]。ガガは6月にリリースされたラッパーワーレイのシングル「チリン」にも客演で参加している[35]。7月にはイギリスで「パパラッチ」をシングル・リリースしている。MTV Video Music Awards 2009でガガは、この楽曲を含む同年のアワード最多となる合計9部門でノミネートを受け[36][37]、9月に行われた授賞式では「パパラッチ」のライブ・パフォーマンスを披露した他、「ポーカー・フェイス」での最優秀新人アーティスト賞を含む合計3部門で受賞[38]。加えて、米ビルボード誌主催のWomen In Musicアワードでは新人賞にあたるRising Star賞を受賞している[39]。
National Equality Marchでスピーチするレディー・ガガ(2009年10月11日)
11月にはデビュー・アルバムの再発盤『ザ・フェイム:モンスター』のリリースが予定されている[40][41][42]。しかしガガは再発盤のリリースはファンにとってフェアではないという理由から否定的な立場で、そのため『モンスター』には新曲を沢山収録する予定であると話している。この再発盤からのファースト・シングル「バッド・ロマンス」は『サタデー・ナイト・ライヴ』にて初披露されている[43]。同番組ではマドンナとパフォーマンスを披露している。同年10月10日にHuman Rights Campaignのデモ行進に出席。行進前に「音楽業界には未だ多くの同性愛嫌悪が存在する。」とスピーチ[44][45]。「今夜は自分の曲は演奏しないの。私のための夜ではない」と述べ、グランドピアノに座る前に「あなたたちのための夜だから」と言って、ジョン・レノンの『イマジン』を一部歌詞とメロディーを変えて披露した。また、1998年に殺害された同性愛者の大学生マシュー・シェパードへのメッセージを込めた[44]。『バッド・ロマンス』はアメリカ、オーストラリア、アイルランドでトップ10入り、イギリス、カナダ、スウェーデンのチャートで1位を獲得した[46][47]。『ザ・モンスター』からのシングル「スピーチレス」は2009年12月11日に行われたロイヤル・ヴァラエティ・パフォーマンスで披露した。そこでは、エリザベス女王と対面した[48]。
音楽性と影響 [編集]
ガガは主にデヴィッド・ボウイ、クラウス・ノミとクイーンの様な魅力的なロッカーや、ポップ歌手のマドンナ、マイケル・ジャクソン、芸術家のアンディ・ウォーホル、詩人のライナー・マリア・リルケ、ファッション・アイコンとエンターテイナーとしてのグレース・ジョーンズに影響を受けている[2][49]。ガガのボーカルはマドンナやグウェン・ステファニーと頻繁に比較される。音楽の構図は1980年代のポップと1990年代のユーロポップを思い出させると言われている[50]。
Fame Ball tourにて、泡をイメージしたプラスチックの衣装に身を包むガガ。
ガガはファッションについて「何よりも大切なもの」でまた「私のすべて」であると話している[15][51]。そのファッションに対する愛情は母親の影響が大きく「常に身だしなみがよく、美しい」と語っている[9]。また、「私が音楽を書いているとき、私は私がステージで着たい服について考えている。それは、パフォーマンスアート、ポップパフォーマンスアート、ファッションと全てについてである。」と主張している。彼女は彼女自身が持つ創造的なチームを「ハウス・オブ・ガガ」と呼んでいる。チームは彼女の服、ステージ、ヘアスタイルなど多くに関わる[52]。
ガガは6つのタトゥーをいれていることが確認されている[53]。手首にあるピースシンボルのタトゥーはイギリスのミュージシャン、ジョン・レノンに影響を受けたもので、ガガは『ガーディアン』において彼を「英雄」だと語っている[54]。左腕には詩人のライナー・マリア・リルケの詩が引用されている。またガガはリルケを「一番好きな哲学者」と評している[55]。 日本のポップカルチャーに感銘を受け来日時にLOVE TOKYOと左肩にタトゥーを入れた。 ガガはドナテラ・ヴェルサーチが自身のミューズであると考えていると述べた[15]。ガガの発言を受けて、『ロサンゼルス・タイムズ』のメリッサ・マグサイサイは「ガガがトップとボトムを同時に着ることを嫌悪する。シャンパンをがぶ飲みし油っぽい男性に仰がれているのは、まさにドナテラ風」というコメントをした[56]。2008年末頃に歌手のクリスティーナ・アギレラとの類似が指摘され始めた。指摘されたのは主にスタイル、ヘアーやメイクアップの類似であるが[15]、これを聞いたアギレラは「ガガを知らない」「ガガが男性か女性かも知らない」と述べている[15]。この発言を受けてガガは「彼女はビッグスター。そして、類似が指摘されるまで多くの人は私を知らなかったから、何かあるとすれば私は彼女に花を送らなくちゃいけない」というコメントを発表した。その後、ガガは「私はこのスキャンダルで記憶されたくない」と付け加えた[57][58][12]。ガガの髪は自然なブルネットである。しかし、それだと歌手仲間であるエイミー・ワインハウスに間違えられるので髪をブロンドに染めた[59]。
ガガは早い段階での成功やメーンストリーム・アーティストになれたのには同性愛者のファンとそのコミュニティでの自身への支持があり、それらのアイコンとなったことが大きいと述べている[60][61][62]。ガガは「私の分岐点は、同性愛者のコミュニティであった。私はそれほど多くの同性愛者のファンがいる。そして、彼らは私にとても忠実である。そして、彼らは私を持ち上げた。彼らは私を常に支持する、そして、私は彼らを常に支持する。それはファンベースを作る簡単なものではない。」とコメントしている[63][64]。ガガはマンハッタンに拠点を置くLGBTマーケティング会社「FlyLife」でスタジオ・アルバム『ザ・フェイム』を観客の前で初めて演奏した。そして、「私は貴方を愛している。貴方はこのプロジェクトの最初の鼓動であった。そして、貴方の支持と輝きは私にとっての世界を意味する。私はこの驚くべきチームと協力し同性愛者のコミュニティの為に戦う。」とコメントした[65] 。ガガのテレビ番組での最初のパフォーマンスの内の1つは2008年5月放送のLGBTテレビジョン・ネットワークLogoのNewNowNext Awardsであり、そこで「ジャスト・ダンス」を披露している[66] 。同年6月にサンフランシスコ・プライドでもパフォーマンスを行っている[67]。2009年5月に『エレン・デジェネレス・ショー』にゲスト出演した際に、司会のエレン・デジェネレスを「女性と同性愛者コミュニティの為の発想の源」と称賛した[68]。また、MTV Video Music Awards 2009でガガは、「神とゲイに感謝するわ」という受賞スピーチも行っている[69]。
ディスコグラフィ [編集]
詳細は「レディー・ガガのディスコグラフィ」を参照
スタジオ・アルバム
* ザ・フェイム(2008年)
* ザ・モンスター(2009年)
ツアー [編集]
* The Fame Ball Tour(2009年)
* The Monster Ball Tour(2009年 – 2010年)
賞歴 [編集]
詳細は「レディー・ガガの受賞とノミネートの一覧」を参照
脚注 [編集]
[ヘルプ]
1. ^ US Copyright Law. "Germanotta,Stefani Joanne Angelina". 2009年3月31日 閲覧。
2. ^ a b Birchmeier, Jason. "Biography" (英語). オールミュージック. 2009年1月13日 閲覧。
3. ^ Thrills, Adrian (2008年1月9日). "Why the world is going gaga for electro-pop diva Stefani" (英語). Daily Mail. Mail Online. 2009年1月12日 閲覧。
4. ^ Powers, Nicole (2008年7月23日). "Lady Gaga :: The Fame" (英語). URB. 2009年2月20日 閲覧。
5. ^ "レディー・ガガ プロフィール". TimeWarp. 2009年6月10日 閲覧。
6. ^ レディー・ガガ ユニバーサル・ミュージック 2009年5月28日閲覧。
7. ^ "Lady Gaga Makes Top 40 Radio History" (英語). American City Business Journals (2009年7月14日). 2009年9月24日 閲覧。
8. ^ a b Release, Press (2009年10月8日). “Lady Gaga Returns With 8 New Songs on 'The Fame Monster'” (英語). Yahoo! Finance (Yahoo!). http://finance.yahoo.com/news/Lady-Gaga-Returns-With-8-New-prnews-3764233688.html?x=0 2009年10月10日 閲覧。
9. ^ a b Warrington, Ruby (February 22, 2009). "Lady Gaga: ready for her close-up". Sunday Times. The New York Times Company. 2009-02-22 閲覧。
10. ^ ビルボード (2008年1月8日). "Chart Beat: Lady GaGa, Luis Fonsi, Taylor Swift, 'Purple Rain'" (英語). 2009年3月30日 閲覧。
11. ^ "Lady Gaga: ready for her close-up" (英語). サンデータイムズ (2009年2月22日). 2009年3月30日 閲覧。
12. ^ a b c "Lady GaGa: the future of pop?" (英語). サンデータイムズ (2008年12月14日). 2009年3月30日 閲覧。
13. ^ a b c d ユニバーサルミュージック. "LADY GAGA / レディー・ガガ". 2009年1月25日 閲覧。
14. ^ "Lady GaGa: the future of pop?". TIME SONLINE (2008年12月14日). 2009年1月25日 閲覧。
15. ^ a b c d e "Lady GaGa: the future of pop?". Sunday Times. The New York Times Company (December 14, 2008). 2009-02-06 閲覧。
16. ^ "大ブレーク中の歌手レディ・ガガ 「私は元ストリッパー」と赤裸々告白". サイゾーウーマン (2009年3月). 2009年4月6日 閲覧。
17. ^ About.com (2008年6月10日). "Lady Gaga Interview - Interview with Lady Gaga". 2009年1月25日 閲覧。
18. ^ “エイコン、レディー・ガガの成功は「努力の賜物」”. MTV JAPAN. (2009年10月5日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16371 2009年10月2日 閲覧。
19. ^ "Lady Gaga - The Fame" (英語). aCharts.us. 2009年8月9日 閲覧。
20. ^ "2009年06月第1週の邦楽アルバムランキング情報". オリコン. 2009年8月9日 閲覧。
21. ^ a b レディー・ガガ:ザ・フェイム ユニバーサル・ミュージック 2009年5月28日閲覧。
22. ^ “第51回グラミー賞ノミネート [D&S編]”. HMV. (2009年2月9日). http://www.hmv.co.jp/en/news/article/812040131 2009年6月9日 閲覧。
23. ^ “HOT100チャートで2曲目の1位獲得”. エンタメニュース (ANAP). (2009年5月27日). http://www.anapnet.com/ent/21247 2009年5月28日 閲覧。
24. ^ Billboard (2009年4月2日). "Lady GaGa Scores Hot 100 Milestone With 'Poker Face'". 2009年4月3日 閲覧。
25. ^ “全欧アルバム・チャートで首位ならず”. エンタメニュース (ANAP). (2009年6月26日). http://www.anapnet.com/ent/22523 2009年8月9日 閲覧。
26. ^ “これまでにUKで最もダウンロードされた曲トップ10”. MSN エンターテイメント (MSN). (2009年9月7日). http://topics.jp.msn.com/entertainment/music/article.aspx?articleid=135177 2009年9月24日 閲覧。
27. ^ "International Pop Star Lady Gaga Set to Tour With New Kids on the Block" (英語). ロイター (2008年10月3日). 2009年1月8日 閲覧。
28. ^ "NEW KIDS ON THE BLOCK :: ニュー・キッズ・オンザ・ブロック". MSN エンターテイメント. ユニバーサル・ミュージック. 2009年9月24日 閲覧。
29. ^ "2009 Single Accreditatios" (英語). オーストラリアレコード産業協会 (2009年3月31日). 2009年4月30日 閲覧。
30. ^ "New Zealand Gold/Platinum Singles". ニュージーランドレコード産業協会. Radioscope (2009年3月24日). 2009年5月26日 閲覧。
31. ^ "LADY GAGAが「Billboard」にて歴史的な快挙を達成". bounce.com. タワーレコード (2009年7月14日). 2009年8月9日 閲覧。
32. ^ VIBE-NET.COM (2009年05月29日). "Lady Gaga 『ローリング・ストーン』誌で大胆ヌードを披露!". 2009年07月24日 閲覧。
33. ^ “The Rolling Stone 2009 Hot List”. ローリング・ストーン. (2009年5月28日). http://www.rollingstone.com/news/story/28455332/the_rolling_stone_2009_hot_list 2009年5月29日 閲覧。
34. ^ “レディー・ガガ&ダンカン・ジェイムスの衝撃の告白”. ELLE. (2009年7月1日). http://www.elle.co.jp/fashion/feature/celeb09_0731/gossip3 2009年9月24日 閲覧。
35. ^ “レディ・ガガとのコラボで注目のワーレイ、発売決定。”. notrax. (2009年7月8日). http://notrax.jp/news/detail/0000006890.html 2009年9月24日 閲覧。
36. ^ “MTV Video Music Awards 2009 全ノミネート作品リスト”. MTV JAPAN. (2009年8月5日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16092 2009年8月9日 閲覧。
37. ^ “VMA 2009 ビヨンセとレディー・ガガが最多ノミネート!”. MTV JAPAN. (2009年8月5日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16093 2009年8月9日 閲覧。
38. ^ “MTV VIDEO MUSIC AWARDS 2009 全受賞作品リスト”. MTV JAPAN. (2009年9月14日). http://www.mtvjapan.com/news/music/16296 2009年9月24日 閲覧。
39. ^ "ビヨンセとレディー・ガガが「ビルボード」誌が選ぶ最もパワフルな女性ミュージシャンに". TimeWarp (2009年10月2日). 2009年10月5日 閲覧。
40. ^ "[CD] ザ・フェイム モンスター・エディション (仮) [5万枚限定盤]". Neowing. 2009年10月5日 閲覧。
41. ^ "ザ・フェイム:-モンスター・エディション- [Limited Edition]". Amazon.co.jp. 2009年10月5日 閲覧。
42. ^ "Fame: Monster Edition". HMV. 2009年10月5日 閲覧。
43. ^ 村上ひさし (2009年10月5日). “レディー・ガガ、コントでマドンナと対決&新曲披露!”. MySpace. http://news.jp.myspace.com/NewsArticles/4527.aspx 2009年10月5日 閲覧。
44. ^ a b Fowler, Brand (2009-10-12). “Kanye Who? Lady Gaga Teams Up With President Obama”. E! Entertainment Television (E! Online). http://www.eonline.com/uberblog/b148428_kanye_who_lady_gaga_teams_up_with.html 2009-12-12 閲覧。
45. ^ Zak, Dan (2009-10-12). “For Gay Activists, The Lady Is a Champ”. The Washington Post (The Washington Post Company). http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/10/11/AR2009101101892_2.html?hpid=topnews&sid=ST2009101101924 2009-12-12 閲覧。
46. ^ Release, Press (2009-10-08). “Lady Gaga Returns With 8 New Songs on 'The Fame Monster'”. Yahoo! Finance (Yahoo!). http://www.prnewswire.com/news-releases/lady-gaga-returns-with-8-new-songs-on-the-fame-monster-63780227.html 2009-10-09 閲覧。
47. ^ "Lady Gaga - Bad Romance world charts". acharts.us. 2009-11-17 閲覧。
48. ^ Vena, Jocelyn (2008-12-08). "Lady Gaga Performs For The Queen Of England". MTV. 2009-12-15 閲覧。
49. ^ Symonds, Alexandra. "Lady GaGa: "Grace Jones, Androgynous, Robo, Future Fashion Queen"". Prefix Magazine. 2009-07-11 閲覧。
50. ^ Petridis, Alexis (2009-01-09), “Film & Music: Rock & pop: reviews: All you'll hear is Radio GaGa: Pop doesn't have to be clever or original - which is good news for Lady GaGa, says Alexis Petridis: Lady GaGa: The Fame: 3 stars: (Interscope) pounds 10.76”, The Boston Globe, ISSN 02613077
51. ^ Harris, Chris (December 9, 2008). "Lady GaGa Brings Her Artistic Vision Of Pop Music To New Album - And A New Kids Song". MTV. MTV Networks Entertainment Group. 2009-01-08 閲覧。
52. ^ Garcia, Cathy (March 8, 2009). "Lady Gaga Burning Up Album Charts". Janmedia Interactive. Korea Times. 2009-03-10 閲覧。
53. ^ Setoodeh, Ramin (2009-09-03). "Lady Gaga Will Rock the VMAs". The Washington Post Company. Newsweek. 2009-09-06 閲覧。
54. ^ Thomson, Graeme (2009-09-06). "Soundtrack of my life: Lady Gaga". Guardian Media Group. Guardian.co.uk. 2009-09-06 閲覧。
55. ^ "著名人の一言:レディー・ガガ". ジャパンタイムズ. 2009年10月5日 閲覧。
56. ^ Magsaysay, Melissa (January 29, 2009). "Is Lady Gaga Donatella Versace's doppelganger?". Los Angeles Times. 2009-01-30 閲覧。
57. ^ OK! (2008年12月31日). "GAGA: I'M THANKFUL FOR CHRISTINA". 2009年4月6日 閲覧。
58. ^ デイリー・メール (2009年2月3日). "So who copied who? Lookalikes Lady GaGa and Christina Aguilera embroiled in style row". 2009年4月6日 閲覧。
59. ^ VIBE-NET.COM (2009年06月16日). "Lady GaGa エイミー・ワインハウスとの差別化で金髪に!?". 2009年7月24日 閲覧。
60. ^ Thomas, Matt. "Going Gaga". fab Magazine. 2009-08-11 閲覧。
61. ^ "A fashion-forward diva is driving her fans gaga". Philadelphia Inquirer (March 25, 2009). 2009-08-11 閲覧。
62. ^ "The Lady Gaga Talks 'The Fame'". 247Gay.com. 2009-08-11 閲覧。
63. ^ Vena, Jocelyn (2009-05-07). "Lady Gaga On Success: 'The Turning Point For Me Was The Gay Community'" (英語). MTV.com. 2009年8月11日 閲覧。
64. ^ “レディー・ガガ、ゲイ・コミュニティーに感謝”. MTV JAPAN. (2009年8月17日). http://www.mtvjapan.com/news/celebrity/16144 2009年9月26日 閲覧。
65. ^ 『ザ・フェイム』ライナーノートより
66. ^ "NewNowNext Awards". 2009-08-11 閲覧。
67. ^ "2008 Main Stage Line-Up". 2009-08-11 閲覧。
68. ^ "Lady GaGa's wacky headgear almost knocks out chat show host Ellen DeGeneres". Daily Mail (2009-05-13). August 11, 2009 閲覧。
69. ^ "Lady Gaga's Shocking 2009 VMA Fashion Choices" (英語). MTV.com (2009年9月14日). 2009年9月19日 閲覧。
外部リンク [編集]
ウィキメディア・コモンズ
ウィキメディア・コモンズには、レディー・ガガに関連するカテゴリがあります。
* 日本公式サイト
* 公式サイト (英語)
* Lady Gaga - MySpace (英語)
* レディー・ガガ - Internet Movie Database (英語)
* Lady Gaga - Twitter
[隠す]
表・話・編・歴
レディー・ガガ
スタジオ・アルバム
ザ・フェイム · ザ・モンスター
シングル
ジャスト・ダンス · ポーカー・フェイス · エイ、エイ (ナッシング・エルス・アイ・キャン・セイ) · ラヴゲーム · パパラッチ · バッド・ロマンス
客演シングル
チリン · ビデオ・フォーン
プロモーションシングル
ビューティフル、ダーティ、リッチ · クリスマスツリー
その他の曲
ファッション · スピーチレス · テレフォン
ツアー
The Fame Ball Tour · The Monster Ball Tour
関連項目
ディスコグラフィ · 受賞とノミネート
「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AC%E3%82%AC」より作成
カテゴリ: アメリカ合衆国のシンガーソングライター | アメリカ合衆国の随筆家 | アメリカ合衆国出身のLGBTミュージシャン | ユニバーサルミュージックのアーティスト | デフ・ジャム・レコードのアーティスト | ニューヨーク州出身のミュージシャン | MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード受賞者 | イタリア系アメリカ人 | ウェールズ系アメリカ人 | 1986年生 | 存命人物
表示
* 本文
* ノート
* 編集
* 履歴
個人用ツール
* ベータ版を試す
* ログインまたはアカウント作成
案内
* メインページ
* コミュニティ・ポータル
* 最近の出来事
* 新しいページ
* 最近の更新
* おまかせ表示
* 練習用ページ
* アップロード (ウィキメディア・コモンズ)
ヘルプ
* ヘルプ
* 井戸端
* お知らせ
* バグの報告
* 寄付
* ウィキペディアに関するお問い合わせ
検索
ツールボックス
* リンク元
* 関連ページの更新状況
* 特別ページ一覧
* 印刷用バージョン
* この版への固定リンク
* この項目を引用する
他の言語
* Afrikaans
* Alemannisch
* العربية
* Български
* Català
* Česky
* Kaszëbsczi
* Cymraeg
* Dansk
* Deutsch
* Ελληνικά
* English
* Esperanto
* Español
* Eesti
* Euskara
* فارسی
* Suomi
* Français
* 贛語
* Galego
* עברית
* Hrvatski
* Magyar
* Bahasa Indonesia
* Italiano
* 한국어
* Latina
* Limburgs
* Lietuvių
* Latviešu
* Македонски
* Монгол
* मराठी
* Malti
* Nederlands
* Norsk (nynorsk)
* Norsk (bokmål)
* Polski
* Português
* Română
* Русский
* Sámegiella
* Simple English
* Slovenčina
* Slovenščina
* Shqip
* Српски / Srpski
* Svenska
* Kiswahili
* Ślůnski
* ไทย
* Tagalog
* Türkçe
* Українська
* Tiếng Việt
* ייִדיש
* 中文
Powered by MediaWiki
Wikimedia Foundation
* 最終更新 2010年1月8日 (金) 07:25 (日時は個人設定で未設定ならばUTC)。
* テキストはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承ライセンスの下で利用可能です。追加の条件が適用される場合があります。詳細は利用規約を参照してください。
* プライバシー・ポリシー
* ウィキペディアについて
* 免責事項
登録:
投稿 (Atom)