2007年8月15日水曜日

社民党の存在感

日本の参議院選挙結果はドイツではいささか驚きをもって受け止められた。それは、自民党が歴史的大敗を喫したことに対するものではない。社民党のあまりもの存在感のなさに対してである――私自身も、最初に選挙結果を見た時、社民党の大敗という事実にすら気付かなかった――要するに社民党の存在そのものを忘れていたということである。

さて、話をドイツでの反応に戻そう。ドイツでは、御存知の方は多いと思うが、保守と左派 との二大政党が戦後のドイツ連邦共和国の政治を、互いにしのぎを削りつつ担ってきた。保守政党はChristlich Demokratische Union Deutschlands(ドイツキリスト教民主同盟/略してCDU)、左派政党はSozialdemokratische Partei Deutschlands(ドイツ社会民主党/略してSPD)である。

日本にも左派政党はいくつか存在するが、中でもドイツのSPDに相当するものは日本社会民主党であろう。では、民主党はどうなのか?という疑問がここで提示されようが、この政党を中道と捉える限りにおいては、それはドイツのリベラルな中道派に属するFDP(自由民主党/Freie Demokratische Partei)に相当する。

従って、ドイツ人の目には、SPD=日本社会民主党と映るのである。だからこそ、彼らには大きな驚きをもって選挙結果がとらえられるのである。ドイツ人にとって、SPDは左派の中心的政党として大きな存在感を持っているばかりでなく、保守のCDUと並んで実際に政権担当能力がある政党として信頼されているのである。

このような信頼に足る左派政党が存在するドイツ人にとって見れば、日本社会民主党の存在感のなさは、かなり奇異に映るようだ。

ドイツの全国紙Frankfurter Allgemeine(フランクフルター・アルゲマイネ)は参議院選挙結果を伝えているが、コラムニストPeter Sturm(ペーター・シュトゥルム)氏の論評に、ドイツ人一般の驚きが典型的な形で出ている。シュトゥルム氏は、コラムの4分の1ほどをわざわざ割いて、社民党の存在感の無さを指摘している。

彼の考えは次の言葉に要約されている――Sozialdemokraten im Schatten(影の中の社会民主派)――。この事態は、ドイツSPDには決してあり得ないことである。

なぜ、SPDがドイツ国民の支持を受け、日本の社民党が日本国民の支持を受けないのかという疑問は、おそらく政権担当能力の有無にあると思われる。SPDは保守派と部分的に妥協をすることによって、あるいは原理的主義的主張を捨て去り、現実路線を歩むことにより、政権運営能力を有している。これに対して、日本社会民主党は原理主義的なものの見方に固執しすぎている。この事実から、実際に国政をこの政党に任せることへの不安が出てくるのではなかろうか。

さらには、外交面においても、中国、北朝鮮と言った近隣諸国に対するあまりもの弱腰の態度にほとんどの日本人が疑問、さらには疑惑さえをも抱いているという状況も大きな要因をなしている様に思われる(あと一つ付け加えれば、党首である福島瑞穂氏の言動への疑惑――果たして彼女は日本国の利益=国益を真摯に考えているのであろうかという疑惑――も決して小さくない要因であろう)。

―――

「良き保守政党を維持するためには、優れたライバル・左派勢力のプレゼンスが不可欠」とは、保守政党CDUのある政治家の弁である。この言葉は、前回のドイツ総選挙(2005年夏)の時に出てきたものである。

私自身はこれからも社民党を支持することは決してないであろう。しかし、この逆説的な言葉は、示唆に富んでいるように思われる。


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2007年8月 7日 (火) ドイツ, 世界の中の日本 | 固定リンク | コメント (3) | トラックバック (1)

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